STORY


[ ストーリー ]

「堀部さんが撃たれました!」・・・診察室に駆け込んできた中村(寺島 進)の報告を聞き、現場へ急ぎながら、西(ビートたけし)はいいようのない怒りに駆られていた。その日、西は堀部(大杉 漣)の好意に甘えて張り込みを彼に任せて妻を病院に見舞っていたのだ。数ヶ月前に可愛い盛りのこどもを失ってから、妻は体調を崩して入院していた。しかし会っても話すことは何もない。話すという習慣がいつしか失われ、面と向かうと言葉が見つからないし、西にしても子を喪ったショックは十分癒えているわけではない。追い討ちをかけられるように西は妻の病状を知った。妻の体は不治の病に冒され、しかも末期の症状だという・・・。
地下街で犯人(薬師寺保栄)を見つけて組み伏せたものの、田中(芦川 誠)と中村が銃弾に倒れ、気がついたら西は犯人に最後の弾丸まで撃ち込んでいた。それまで少しづつ積み重ねてきたいらだちが暴発したように。引き金となったのは自分の近しい者が、次々と奪われて行く悲しさだったのかもしれない。こどもを失い、部下を失い、そして妻までも・・・。
数ヶ月後、一命はとりとめたものの堀部は下半身付随となり、車椅子の生活を送っている。「俺がこんな体になって、直らないと分かったら、女房の奴、子供を連れて出てっちゃった。夫婦なんて分からないもんだよな」。絞り出すような堀部のつぶやきを聞きながら、西には返す言葉がない。堀部は他でもない自分の身代わりで、こんな体になってしまったのだ。
それから間もなく西は刑事の職を辞した。堀部だけではない殉職した田中の、まだ若い妻(大家由祐子)のことも気になる。すべては自分が原因だ。そんな罪悪感に西はさいなまれ続けていた。絵を描くことで生きる喜びを見い出した堀部に画材一式を送り、田中の妻に当座の費用を用立て、そして妻と残り少ない生活のために、ヤクザから金を借りた西は、東城(白竜)を先頭に立てた執拗な追い立てを振り切り、妻とふたりきりの旅に出る・・・。



[ 解説 ]

毎回、その独特で新鮮な作風で映画界に刺激を与え続ける北野武監督の第7作目にあたるこの作品は、”HANA-BI”というタイトルがつけられた。”HANA-BI”は英語では、”Fireworks”であるが、あえて”HANA-BI”と綴られており、作品のテーマと映像を象徴させる重要な意味を示している。”HANA(花)”=”Flower”は「生」のシンボルとして、”BI(火)”=”Fire”は銃撃を意味し、「死」のシンボルとして捉えることができる。この作品の中で、「花」は至るところに登場し、又、北野武自らの手によって描かれた「花」の絵が数多く挿入され、独特なイメージの世界を創り出している。

一方、「ソナチネ」や「その男、凶暴につき」等の過去の作品において、その強烈な描写が話題となった突発的な暴力シーンも見事なバランスで織り込まれており、「キッズ・リターン」に代表される彼自身の編集の手法と相まって、「静」の世界と「動」の世界が、ともにアクセントとなった魅力的なリズムを持つ個性的な作品を実現させている。今回この作品で見られる暴力シーンは、それぞれに激しいが、しかしそこには、暴力をデジタルなゲームのように繰り返そうとする冷え切った世界に生きる者達に対する北野自身の熱い怒りが感じ取れる。鮮血に象徴されるそのリアルな暴力描写は「痛み」を伴って観ている者にも突き刺さるが、心の痛みも含め、人の持つ「痛み」を感じようともせず無視してしまうような暴力に対して、「痛み」と「怒り」をもって暴力で反撃していく主人公の姿に、今までも一貫して暴力の本質を見つめ、また問いかけてきた北野の姿勢が反映されている。作品の後半で、主人公の西が、自分の妻の前であるにもかかわらず、普通の営業マンを打ちのめし湖に頭を何度も沈めようとする理不尽とも思える暴力的シーンが登場する。しかしここにおいては、その営業マンが西の妻に向かって発した一言、「死んだ<花>に水やってもしょうがないんだよ!」というセリフに対する反応としての、過剰とも思える西の暴力行為の中に、西の置かれている精神的な状態を映し出すという、確かな演出に裏打ちされた、北野の世界を実現させているのであって、暴力シーンを単に連続して見せるだけのアクション・ムービーとは一線を画しているのである。

また、この作品の画像のトーンは、一貫してある種の透明感を維持しており、「花」以外にも、北野自身がこの作品用に描いた「絵」(例えば、壁にかけられた竜の絵や浮世絵風の絵など)との絶妙なコンビネーションによって、不思議かつ完成度の高い映像美の世界をも実現させているのである。

北野は今回の作品で「ソナチネ」以来4年振りに主役(元刑事:西 佳敬の役)を演じている。その妻(西 美幸)の役を演じる岸本 加代子との二人が描き出す夫婦の世界は、極端に寡黙であるが、それゆえにこの作品の最後に発せられる妻のたった二つだけのセリフは、正にクライマックスにふさわしい響きをもって観ているものを感動させずにはおかない。また、西の中学時代からの友人であり、刑事時代の同僚でもあった堀部(大杉 漣)の果たす役割こそは、前作「キッズ・リターン」において「生」のテーマを若者達を通して瑞々しく映像化させたことを踏まえての、「生」への闘いの象徴的な人物設定であり、絵を描くこととの出会い、「花」との出会いを通じて生きる決意をしていくこの男の姿は、もう一つの感動を観るものに与えてくれる。

北野の監督作品は、これまでも著しくセリフが少ないことがその作風の個性の一つとして挙げられてきたが、今回はまたとりわけセリフが少ない。主人公達にあってはその極みであるが、登場する人間たちは皆ものを言わず、最初のうちこそ堀部は喋っているが、やがて黙々と絵に向かう姿のみでストーリーが進行して行くといった具合で、このものを言わない人達の世界は、しかしその映像の積み重ねの中で、むしろ見事な表現力を持って受けとめられる。これこそは、もともと話芸のスペシャリストで、日本において漫才の世界で一時代を作り上げてきた北野が、まさに言葉の持つ力を知り尽くしているからこそ築き上げた、映像表現の素晴らしい世界と言えるであろう。当然、数少ないセリフは、少ないからこそ印象的であり、磨き抜かれているのだ。

また、かつて同様に物を言わぬ少年・少女を主人公にした「あの夏、いちばん静かな海。」を作り上げたとき、その音楽において雄弁な世界をともに実現させた作曲家・久石譲を、今回も音楽監督として迎え、この作品をより魅力的なものにしている。北野はこの作品に今までよりアコースティックなサウンドの世界を求め、久石はそれに見事に応えて、北野の映像にさらなる輝きを与えており、壮大なスケールと繊細で緻密なメロディーによって綴られた、まさしく叙情詩のような音楽と映像美の世界を実現させた。この作品の導入部に見られる北野自らが描いた絵と、そこに聴こえてくる久石の織り成すアコースティックな響きの世界は、この映画がまったく新しい北野の作品の幕開けである事を告げているのだ。

この映画には、タイトル通りの花火のシーンも登場する。主人公達の人生もまた「花火」のようである。そして、この作品全体を通してその軸となっているのは確かな「愛」である。それは重い「愛」である。独り善がりともとれる、そこにある「優しさ」はしかしピュアである。全てを背負うことを決意した男と、全てを委ねた女の旅は、二言のセリフと二発の銃声を残しながら、終わることの無い二人だけの世界へと更に旅立つ。北野はこれまでも今まで観たこともない新鮮な映像作品を、映画の世界に新しい風を吹き込んできたが、ここにまたこの「HANA-BI」によって、彼自身がかつての監督作品全てまでも超越した境地を実現してくれた。



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