鍾馗とは?日本軍の重戦闘機の愛称

スポンサーリンク

鍾馗とは?日本軍の重戦闘機の愛称

鍾馗とは。

鍾馗は、第二次世界大戦時に日本海軍が使用していた重戦闘機「二式(単座)戦闘機」の愛称です。初飛行は1940年で、二型丙の最高速度は時速605キロメートルでした。連合軍によるコードネームは「トージョー」です。

二式戦闘機「鍾馗」の特徴

二式戦闘機「鍾馗」の特徴

鍾馗は、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍が使用した戦闘機です。愛称は、中国の民間伝承に登場する鍾馗将軍に由来しており、その鬼神のような強さから名づけられました。

鍾馗は、1941年に初飛行した二式戦闘機をベースにして開発されました。二式戦闘機は、陸軍初の単座全金属製戦闘機でしたが、鍾馗はより強力なエンジンと重武装を特徴としていました。エンジンの換装により速度が向上し、翼の設計が変更されたことで運動性と上昇力が向上しました。また、20mm機関砲2門と12.7mm機関砲2門を搭載し、強力な火力を備えていました。

鍾馗は、1942年に実戦配備され、ニューギニア、ビルマ、中国、沖縄などの戦線で活躍しました。鍾馗は、日本の戦闘機の中では最高レベルの運動性と上昇力を誇り、連合軍の戦闘機との空中戦でも互角に渡り合いました。また、強力な火力により、敵機を撃墜する能力も十分に備えていました。

しかし、鍾馗にはいくつかの欠点もありました。その一つは、航続距離が短かったことです。鍾馗は、燃料タンクが小さく、長距離の飛行には向いていませんでした。また、鍾馗は、高空性能も低く、連合軍の戦闘機が高度を上げて戦うと苦戦を強いられました。

鍾馗は、1945年までに約2,000機が生産されましたが、終戦までにほとんどが撃墜されました。現在、鍾馗の実機は、日本の航空博物館などに展示されています。

鍾馗の戦果と活躍

鍾馗の戦果と活躍

鍾馗の戦果と活躍

鍾馗は、太平洋戦争中に日本軍が使用した重戦闘機です。その優れた性能とパイロットの操縦技術により、多くの撃墜記録を打ち立て、日本軍の主力戦闘機として活躍しました。

鍾馗が初めて実戦投入されたのは、1942年のミッドウェー海戦でした。この海戦で、鍾馗は米軍の艦載機と交戦し、多くの撃墜を記録しました。その後、鍾馗は、ソロモン諸島、ニューギニア、ビルマなどの戦線で活躍し、米軍や連合軍の航空機と激戦を繰り広げました。

鍾馗が最も活躍したのは、1943年のガダルカナル島の戦いでした。この戦いで、鍾馗は米軍のF4FワイルドキャットやF6Fヘルキャットなどの戦闘機と交戦し、多くの撃墜を記録しました。また、鍾馗は、米軍の爆撃機や輸送機を攻撃し、多くの撃墜を記録しました。

鍾馗は、太平洋戦争中に日本の主力戦闘機として活躍し、多くの撃墜記録を打ち立てました。その優れた性能とパイロットの操縦技術により、鍾馗は、米軍や連合軍の航空機にとって、大きな脅威となりました。

鍾馗の生産と配備

鍾馗の生産と配備

鍾馗の生産と配備

鍾馗の生産は、1943年3月に開始されました。最初の生産機である鍾馗一型は、1943年8月に完成し、同年10月から部隊配備されました。鍾馗は、主として、陸軍航空隊で使用されましたが、海軍航空隊でも一部が使用されました。

鍾馗の生産数は、約1,680機で、そのうち陸軍航空隊に配備された機体は、約1,300機、海軍航空隊に配備された機体は、約380機でした。

鍾馗は、主に、本土防空、地上支援、対艦攻撃に使用されました。本土防空では、アメリカ軍の爆撃機を迎撃して、その撃墜に貢献しました。地上支援では、地上部隊を支援して、敵の陣地や部隊を攻撃しました。対艦攻撃では、アメリカ軍の艦艇を攻撃して、その撃沈や損傷に貢献しました。

鍾馗は、第二次世界大戦中、日本軍の主力戦闘機として活躍しましたが、1945年8月の終戦とともに、生産が中止されました。

タイトルとURLをコピーしました