「木冬社」:日本の演劇界に足跡を残す企画集団
創設者の清水邦夫とその経歴
「木冬社」の創設者である清水邦夫は、1945年に福岡県で生まれた日本の劇作家、演出家であり、日本の演劇界に大きな足跡を残した人物の一人です。彼は、1960年代後半に演劇界にデビューし、1970年代には「木冬社」を旗揚げして、斬新な作品を発表し続けました。
清水邦夫は、早稲田大学第一文学部演劇科を卒業後、文学座養成所に入所し、1968年に文学座に入団しました。しかし、1973年に文学座を退団し、「木冬社」を旗揚げしました。
「木冬社」は、清水邦夫を中心に、太田省吾、朝倉摂、坂手洋二、立川三貴、塩野谷正幸、杉浦直樹、山本裕介など、才能豊かな劇作家や演出家が集まった劇団として知られており、現代社会を鋭く批評する作品を発表し続けました。
清水邦夫は、「木冬社」の旗揚げ公演である「水の音」で、その才能を遺憾なく発揮し、以降も「冬の宿」「ペリカン」「かもめ」「アンチゴーヌ」などの話題作を次々と発表しました。
清水邦夫は、1980年に「木冬社」を解散した後も、劇作家、演出家として活躍を続けました。また、映画監督としても活躍し、1983年に「楢山節考」で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞しました。
清水邦夫は、1990年に紫綬褒章を受章し、2003年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。2005年には、文化功労者に選出されました。
清水邦夫は、2021年に死去しましたが、その作品は現在も多くの演劇人に影響を与え続けています。